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神戸市・東須磨小学校の教員いじめに見る義務教育の有り方の考察

【要旨】 

・今回の事件の原因は、学校という隔離され逃げ場のない空間に、個人が閉じ込められていたこと。その意味で、本事件は通常のいじめのニュースと同じであり、違いは、被害者が生徒ではなく教員であっただけである。

・学校でのいじめ問題の解決手段は、現行の義務教育制度を廃止、小学校・中学校への進学は任意とし、学習塾やオンライン学習を義務教育と認めること。それにより、逃げ場のない場所で生じるいじめはなくすことができる。

・知識習得以外の学校の役割である「道徳教育の充実」や「豊かな心や健やかな体を育成」は、代替手段が複数存在しいる中で、意義が乏しい。

 

【内容】

(事件の概要)

ニュースで確認する限りは2019年10月4日に、神戸市立東須磨小学校での教員間のいじめ事件が発覚した。内容は幼稚かつ悪質・卑劣であり、被害にあった男性教諭は、激辛カレーを無理やり食べさせられたり、無料通信アプリ「LINE(ライン)」で女性に卑わいなメッセージを送らせられたりしたらしい。加害者は、然るべき厳罰に処されるべきだ。

 

(事件原因の考察の無意味さ)

一方、この事件の原因を考察し、解決策を考えたとき、(カレーの配給を禁止するのは論外ではあるが、)対処療法的な手段は全く効果がないのではないかと思う。自身の経験を振り返ってみてほしい。小・中学校、高校でのいじめ、また、会社におけるハラスメントなど、加害者ではないにしても、ある空間内でのそれらの現象を見た人はとても多いはずである。

 

この現象の原因は、いろいろあるとしか言いようがない。「親から十分な愛を受けられなかった生徒が嫉妬して〜」といった話は、ドラマではよく出てくる。(実際ほとんどのケースでの原因は、「ただなんとなく(ムカついたから、顔が変な気がするから、みんながやっているからetc.)」だとは思っているが。)

 

ちなみに、この記事を書くに際し、いじめの加害者側の心理を研究した調査資料を検索したが、驚くほど引っかからない。例えば、文部科学省管轄の国立教育政策研究所が公表している「いじめ追跡調査」では、いじめ被害者・加害者の被害経験・加害経験についてアンケートを取っているが、その原因についての調査の記載はない。回答を得ることは難しいかも知れないが、どのような原因が多いかは調査・分析した資料があって然るべきとは思う。

参考:いじめ調査追跡報告書2013-2015:https://www.nier.go.jp/shido/centerhp/2806sien/tsuiseki2013-2015_3.pdf

 

このような現象の原因をすべて把握し解決策を講じるのは、無駄である。また、いじめの経験を活かし、いじめに立ち向かう意思を持たせようとの意見は、最悪である。これができる人は、世の中にほとんどいないはずであるからだ。

 

例えば、あなたがいま社会人であるとして、周囲を見たとき、理不尽なことを言ってくる上司に対して立ち向かえる人は、どれだけいるであろうか? そして、「立ち向かえる側の人」のうち何人が、いじめ被害の経験者であろうか?

 

いじめに立ち向かう意思を持つことのできる人は限られる。そうであるならば、むしろその場から逃げる手段を覚え、実践させるべきだ。しかし、学校という組織は、生徒はもちろんのこと、教員にとっても、非常に閉鎖的であり、「逃げにくい」場所であると思う。

 

例えば、東京都の教員は、通常3~6年以内に異動するらしい(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/051/shiryo/attach/1366229.htm)。つまり、3~6年は少なくとも拘束されるということ、また、この期間外で異動する教員は特殊ということである。仮に、何かしらの事件があった場合で、それにかかわっていた教員が1年で異動したとしよう。その教員に対する扱いは、あまりいいものではないと想像できる。

 

また、教員は代替できる就職先がほぼない。一般企業への転職は、文化が違うこと(いわゆる「社会人経験がない」こと)から困難であることは想像しやすいし、公立から私立への転職も、それほど門戸は広くないであろう。

 

以上の通り、教員は限られた空間での職務・役割を強いられる存在である。これは、学校内の生徒と同じであるし、今回のいじめは、加害者と被害者がともに教師であった以外、まったく特殊性のない事件だと言える。

 

(抜本的な解決策)

私の提示する解決策は非常にシンプルだ。小学校・中学校を基本とした義務教育を廃止すればいい。既存の小・中学校に通うことを是としなければいい。学習塾やオンライン授業を義務教育のカリキュラムに組み込み、一定の水準を満たした場合、当該科目を修了したことにする。

 

これで、学習面において、いままでの義務教育が担っていた面はすべて代替できる。自分たちの高校受験を想像してほしい。果たして、塾に行かずに高校受験を迎えた人はどれ程いるであろうか? なお、オンライン化してしまえば、授業料を高額にする必要はない。授業の疑問は、塾の先生やオンラインでの問い合わせで十分間に合う。

 

(各種批判についての反論)

いくつかの批判はあると思うので、以下の通り反論したい。

 

・塾やオンライン学習では、「道徳教育の充実」や、「豊かな心や健やかな体の育成」をできない。

 

文部科学省の指導要領には、知識の習得以外に、「道徳教育の充実」や、「体験活動の重視、体育・健康に関する指導の充実による豊かな心や健やかな体の育成」が定められている(http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/09/30/1421692_1.pdf)。後者は、いわゆる部活動等の課外活動を指すと理解した。

 

これらについては、代替手段が複数あるため、小・中学校の意義は乏しい。例えば、ボランティア活動を通じて、道徳を学ぶことは可能であるし、クラブチームに通えば、チームプレーを学ぶこともできる。

 

また、いじめをする教員から、道徳を学ぶというのもおかしな話である。教員も不倫や浮気をするであろうし、少し前に、フィリピンで12千人以上と売春した校長がいたことも、記憶に新しいと思う。

 

・小・中学校に通っていなかったことが、進学・就職に影響を与えてしまう。

 

この点については、履歴書の記載を「義務教育履修済」にすればいいだけである。どの中学校に在籍していたかは、一部の私学を除けば、親の所得の多寡以外には意味をなさない。

 

(まとめ)

今回は、神戸市・東須磨小学校での教員間のいじめは、生徒間のいじめと性質が同じであること、その根本的な解決策には、現状の義務教育を抜本的に見直し、塾やオンライン学習を義務教育として認めるべきであることを述べた。

 

留意点は、教員・生徒の需給バランスであると思われる。塾などでは学べないかもしれない道徳教育や課外活動による学びについては、いくつも代替手段があり、懸念する必要はないと思う。

 

本件を踏まえ抜本的ないじめ対策のために、ぜひ文部科学省には、この点を議論してもらいたい。